何で人は狭くなっていくのだろう

ここで書くのは久しぶり。

 

世の中の騒動を感じつつ(違和感含め)

そこから色々考えてしまう。

 

著名な人・政治家の決断などをみて

国民それぞれに感想はあると思うのだが

 

パッと見える所だけで、決断に対して

意見をしていないかな?ってね

見える所だけでっていうのは、もはや「反応」

じゃない??と思う。

 

見える所で反応するって、当然だからいいのだけど。

 

その次の次は何が起きる可能性があるか?

この発言をする裏には何があるのか?

 

それらも複数に考えたり、調べたりが

特に、今は必要な話だと思うのよね。

 

人々に影響があるような内容だと特に。

 

そのためにも、主義思想はあるだろうけれど

そのフィルターを外して「事実」を見てみる。

 

☆このフィルターは個人の価値観のフィルターでもある

 

常に人はフィルターを無意識に付けるだろう。

 

それは良い面もあるけれど、

狭くするし、見えなくすると言う

効果も発揮してしまうわけで、今は特に広げて欲しい。

 

日々の生活で、この考え方や見方は

訓練ができる。

 

本当にこれから必要なものになると思う。

柔軟性・概念からの解放・主体性をもって生きる。

 

 

それにしても何故そういう見方をしてしまう人が

多いのだろう?知識や教養があってもだ。

(もちろん、教養が足りないと言う場合もある)

 

これは脳の働きなのか?
性格なのか?
特性なのか?

育つ環境(後天的なもの)か?

単純に周りの影響か?

国民性か?

 

個人的にまた見ていきたい。

 

答えがあるような学問もあるし

沢山の本があるのだけど・・・

私が「そうか!!」と思えるには

あと少し何か足りない気がするのだ。

 

 

ちなみに「人のため」「世界のため」

この「世のため人のため」←正義・善

というフィルターも時に「悪」であることを

忘れてはいけないよね←概念だから